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青森地方裁判所 昭和60年(行ウ)7号 判決 1990年1月23日

原告

三八五交通株式会社

右代表者代表取締役

伊藤彰亮

右訴訟代理人弁護士

高橋勝夫

清水謙

被告

青森県地方労働委員会

右代表者会長

高橋牧夫

右指定代理人

関谷耕一

斎藤茂

高橋寛美

坂上眞

福士裕

上舘誠吾

参加人

三八五交通労働組合

右代表者執行委員長

中村文男

右訴訟代理人弁護士

金澤茂

右訴訟復代理人弁護士

金澤早苗

石岡隆司

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が青地労委昭和五八年(不)第二六号、昭和五九年(不)第一〇号、同年(不)第一一号不当労働行為救済申立事件について昭和六〇年一一月五日付けでした別紙命令書(略)記載の命令のうち主文第1、第2項を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告及び参加人の答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  参加人は、被告に対し、昭和五八年一〇月八日(青地労委昭和五八年(不)第二六号、昭和五九年五月二二日追加申立て)、昭和五九年一一月五日(昭和五九年(不)第一〇号)及び同月一九日(同年(不)第一一号、昭和六〇年五月二八日追加申立て)、原告を被申立人として不当労働行為救済の申立てをしたところ、被告は、昭和六〇年一一月五日、別紙命令書記載の命令(以下「本件命令」という)を発し、同命令書の写しは、同月一四日、原告に交付された。

2  しかしながら、本件命令中の主文第1、第2項は、以下に述べるような事実誤認及び法令適用の誤りがあり、違法であるから取り消されるべきである。

(一)(観光ハイヤーの配車問題について)

本件命令は、いずれも原告における労働組合である参加人組合員と三八五労働組合タクシー支部(以下「タクシー支部」という)組合員との間に、昭和五八年八月から一〇月までの間の原告の本社営業所の観光ハイヤーの配車回数に差があり、これに合理的理由が認められないこと等から、右原告の行為はタクシー支部組合員を優遇することにより参加人の動揺を図ったものと認めざるを得ないとし、もって、労働組合法七条三号の不当労働行為に該当するとしているが、これは以下に述べるとおり事実誤認ないし法令適用の誤りである。

(1) 被告は、本件命令において、昭和五八年八月から一〇月までの間の原告の本社営業所所属の中型車乗務員に対する貸切りの観光ハイヤーの配車状況は別表1のとおりであるとしているが、これは客観的事実と異なる。

すなわち、同表中の昭和五八年八月及び九月の参加人の中型車乗務員数は、いずれも二六名ではなく二七名であり(うち後記の担当者が一二名、スペアが一五名である。)、同じ月のタクシー支部の中型車乗務員数は、いずれも一四名ではなく一三名である(うち同様に担当者が八名、スペアが五名である。)から、これに基づく組合別の一人当たり平均配車回数も正確ではない。

(2) 原告の本社営業所の観光ハイヤー用の中型車両は二〇台で、右車両にはそれぞれの車両責任者である担当者が二〇名と、担当者が明け番のときに当該車両を担当する予備担当者(以下「スペア」という)が二〇名おり、担当者はほぼ半数ずつ明け番になる。原告が、全国の観光あっせん業者から受けた観光ハイヤーの注文に応じて、乗務員に対し右観光ハイヤーの配車をするときの基準は、先ず出勤交番の担当者の車両に配車し、担当者の配車が満杯になったのち、スペアの車両に配車することになっており、右配車回数の平均化は担当者についてのみなされてきており、スペアについてはなされていない。また、平均化が図られる期間も、毎年五月から一〇月までの観光シーズンを通してであり、昭和五八年度は五月七日から七月二〇日まで長期間の争議が行われ、八月から一〇月までしか稼働できなかったのである。(その中でも例年どおり稼働できたのは一〇月のみである。)から、そもそも昭和五八年度における観光ハイヤーの配車問題につき不当労働行為の成否の判断などなし得るところではない。

(3) 強いて、例年どおり稼働できた昭和五八年一〇月において、配車回数の平均化が図られている担当者について比較してみると、指名例(乗客から個別乗務員の要望があるもので、会社の裁量による配車をなし得ないもの)及び勤務態度不良で配車しようにも配車できなかった乗務員(参加人組合員である下舘元次郎、今泉十四三及び沼田芳美)は除外すべきで、これを除いた実質的配車回数は、タクシー支部組合員の平均回数が「五・一五回」であるところ、参加人組合員の平均回数は「六・〇回」であり、むしろ、参加人組合員の方が多くなっている。

(4) 前記のとおり、昭和五八年度は長期にわたる労働争議が発生したという趣旨において、労使間に対立があったとしても、原告は、参加人に対して嫌悪感を懐いていた事実もなく(現に、当時、脱退工作の事実も団交拒否の事実などもまったくなかった。)、また、観光ハイヤーの配車に際して考慮した事実もまったくない。

(5) 昭和五八年九月末から一〇月初めにかけて、参加人を脱退してタクシー支部に加入した者について、以後格別の配車回数の増加、稼働額の増加は認められない(他の担当者についても同様に配車回数の増加と稼働額の増加が認められるのである。)。

(6) 仮に、参加人とタクシー支部の各組合員との間で、観光ハイヤーの配車回数に差が生じていたとしても、それは、<1>原告の観光ハイヤーのコースでは、十和田湖畔に一泊するケースが比較的多いが、その際、原告の乗務員は所定の売店の三階の大部屋に宿泊することになっており、参加人とタクシー支部の組合員とを一緒にするのは、喧嘩等のトラブルのもとであり、かといって組合毎に宿泊場所を変更すると、必ず待遇に差が出て差別云々の問題が発生するので、原告としては、なるべく同じ組合の組合員をまとめて配車するようにしてトラブル発生防止に努力する必要があり、また<2>観光ハイヤーの乗務員は、観光地の説明と案内をしなければならないが、二〇名の担当者中にも能力の差があり、観光ハイヤーの配車をするにあたって、右乗務員の能力を考慮する必要があったためであり、原告が観光ハイヤーの配車において、参加人組合員の配車回数を少なくしてタクシー支部組合員と差別したようなことはない。

(二)(三六協定の未締結及び無協定期間中の配置転換及び交番変更問題について)

本件命令は、原告と参加人との間で、昭和五九年一〇月二一日に労働基準法三六条に規定する協定(以下「三六協定」という)が未締結の状態に至ったことはどちらか一方に責めを負わせることはできないとしたうえで、原告が同日から同年一二月一三日までの間、参加人との三六協定の締結を拒否し、参加人組合員に時間外労働をさせなかったのは、参加人組合員に対し、不利益な取扱いをすることにより、参加人の壊滅を図ったもので、労働組合法七条一号及び三号に該当する不当労働行為と認められるとし、また、右期間中に原告が行った配置転換・交番変更は、タクシー支部組合員にのみ時間外労働をさせ、参加人組合員には時間外労働をさせないという差別状態を作り出し、これを維持するための手段として行われたものと認められ、これにより、参加人の壊滅を図ったもので、労働組合法七条三号に該当する不当労働行為と認められるとしているが、これは以下に述べるとおり事実誤認ないし法令適用の誤りである。

(1) 三六協定が未締結に至った経緯

<1> 原告は、三八五貨物自動車運送株式会社を中核とする三八五企業グループの一企業であり、原告の従業員は、かつて全員右三八五企業グループの労働組合である三八五労働組合に所属し、その下で(旧)タクシー支部を組織していたが、昭和五〇年二月に分離独立し、参加人が結成された。

<2> 参加人は、右分離独立後間もなくの昭和五〇年五月、原告と締結していた三六協定の期限到来時に、それまで締結していた期間一年を改め、三ケ月を期間とする三六協定を締結することを原告に申し入れ、原告がそれに応じて期間三ケ月の三六協定が締結されたことをはじめとして、昭和五八年七月までの長期間の争議後に、期間一年間の三六協定を結ぶまで、一年間を期間とする三六協定を締結したことはなく、長くて一一ケ月、短いのは三日であった。このように、参加人は、三六協定締結交渉を、賃上げ交渉をはじめとする要求実現のため、最大限に利用し、原告は、その都度参加人の要求を受諾させられ、会社の経費に占める人件費が増大して経営を圧迫していた。

<3> 原告と参加人は、昭和五九年七月二一日から同年一〇月二〇日までの間三六協定を締結していたが、右の期限が迫った同年一〇月一八日、原告の奥寺勇五郎総務部次長(以下「奥寺次長」若しくは「奥寺」という)は、参加人の大西孝書記長(以下「大西書記長」若しくは「大西」という)に対し、新たな三六協定を期間一年で締結するよう要請したにもかかわらず、参加人は不誠実にも、原告に対し、これについて、同日も翌一九日も何ら返答しなかった。

<4> 奥寺次長は、同月二〇日午前一〇時頃、参加人の中村文男執行委員長(以下「中村委員長」若しくは「中村」という)に対し、電話で、三六協定締結に関し、参加人の検討結果を尋ねたところ、中村委員長は、それについては大西書記長に指示してあり、同日午後五時までには同人が原告の事務所へ行くことになっている旨返答したにとどまった。ところが、同日午後四時二〇分になっても、大西から連絡が入らないため、奥寺は、大西の自宅へ電話をしたところ、大西は自宅を出た後であり、更に、同日午後四時四〇分頃、奥寺は、大西の勤務先である原告の鮫営業所に電話したところ、ようやく大西がこれに出て、新たな三六協定については、執行委員会で一ケ月の期間で締結することに決定した旨回答した。奥寺は、原告が要請した一年とはあまりに期間に隔たりがあるので、大西に本社へ来るよう要請し、同日午後五時三〇分頃から、原告の本社事務所において、原告と参加人との間で、三六協定締結につき交渉(窓口交渉)が行われた。右窓口交渉には同日午後六時頃から原告代表取締役社長伊藤彰亮(以下「伊藤社長」という)も参加し、同社長は、来年三月末までの約六ケ月の期間とする旨の妥協案を示し、これについて参加人の三役でも相談するよう要請した。

<5> そして、同日午後七時三〇分頃から、原告の本社会議室において交渉(三役交渉)が行われ、席上、参加人は原告が団体交渉の対応に誠意をみせないので、一ケ月以上の期間の三六協定は締結できないと強硬に主張し、午後八時三〇分頃まで話し合ったが平行線をたどり、原告側が別室で相談するからそのまま待機するように要請したにもかかわらず、参加人側が全員退室してしまったため、三役交渉は終了した。

<6> その後、同日午後九時頃と一〇時頃の二回、大西書記長が、奥寺次長に対し、電話で、原告側の結論が出たか問い合わせてきたので、奥寺は、その都度伊藤社長とまだ相談ができていないと返答するとともに、参加人側に譲歩を求めたが、いずれも拒否された。同日午後一一時頃、奥寺は、大西に対し、電話で、伊藤社長と相談したが一ケ月では事業計画が成り立たないので再度検討するよう要請したが、その後参加人から原告に対して何の連絡もなく、そのまま同日午後一二時が経過した。

<7> したがって、以上の経緯から見れば、会社が三六協定の締結を求め続けたのに対し、参加人は、終始不誠実極まりない態度をとり続けて三六協定の締結を拒否し、その結果、無協定状態を出現せしめたものと言わざるを得ない。

(2) 無協定状態後の原告の対応

<1> 参加人から原告に対し、その後三六協定締結の申し入れがあったのは、昭和五九年一一月一九日に期間六ケ月の三六協定を締結するための団体交渉の申し入れがなされたときが初めてであり、原告はこれに対し、同月二四日には文書で返答し、同月三〇日に現実に団体交渉が開催されている。その席上、伊藤社長は、参加人が被告に対し、原告の三六協定不締結は不当労働行為であるとして救済申立てをしているので、被告の処置を待ってから話し合うべきだと主張したところ、参加人もこれに格別の異議をとなえずに団体交渉が終了した。そして、同年一二月四日に被告から勧告が出されたため、原告から同月一一日に三役交渉の申し入れをし、これにしたがって同月一三日に三役交渉が行われ、その席上、原告と参加人との間において三六協定が締結されるに至ったのであり、以上の経緯からみて、原告において参加人との三六協定の締結を拒否した事実などないことが明らかである。

<2> 原告が、昭和五九年一〇月二一日の早朝、原告の各営業所に掲示した同日付け「運転者の配置転換について」と題する文書は、三六協定が無協定状態に至った経緯と配置転換の必要性について記載したものであり、前者は事実の経過報告にすぎず、また、後者は認可事業としてその使命たる利用客の利便を勘案したうえでの企業努力を図ったものにすぎず、もとより何ら原告の不当労働行為を推認しうる理由にはなり得ない。

また、同日二四日付け「三六協定について」と題する掲示文書も、三六協定が無協定に至った経緯について前記一〇月二一日付け文書よりも詳しく述べたものであり、何ら原告の不当労働行為を推認しうる理由にはなり得ない。なお、同文書の末尾に「会社は今後、参加人に対して、三六協定の締結を要請しないことを言明する。」との記載があるが、これは、同月二二日から二四日までにわたって開催された参加人の全員集会において、三六協定未締結が承認されるとともに、期間一ケ月以上の三六協定を締結しないことが確認されたという状況を勘案した場合、ごく当然の表現であり、原告から積極的に三六協定の締結を拒否したものではない。

<3> 参加人の被告に対する昭和五九年一〇月二五日付けあっせん申請書と被告のあっせんを開始する旨の通知書との写しを原告が受領したのは、同年一一月六日であり、その後右あっせん申請について被告から原告に対して何らの連絡もなかったから、結局、右あっせんは正式には開始されなかったものである。

また、因みに、原告は同月二日の事実上のあっせんには応じており、席上、伊藤社長は、被告からの期間六ケ月での三六協定締結の意向打診に対し、参加人は集会で一ケ月で押し通すと決めたようであり、期間一ケ月に固執していると受け取られるので、六ケ月で話し合っても締結できないだろうと回答したものであり、原告が、右あっせんに応じなかった事実はない。

<4> 原告の三沢駅前営業所の参加人組合員が、原告に対し、参加人を脱退して新労働組合を結成するので三六協定を締結してほしいと申し入れをしてきた際、同人らは、新労働組合の規約や参加人からの脱退届けの写し等の提示をしなかったので、原告は、実質において新しい労働組合が結成されたことを疎明するよう求めたところ、同人らはこれを了解したのである。当時、三沢駅前営業所の従業員数は二四名であり、参加人組合員が過半数を占めていたため、新しい労働組合が本当に結成されたか否かを確認せずに対応した場合、逆に参加人との関連で新たな労使紛争を発生させる可能性もあることを配慮する必要があった。

また、これらの者がタクシー支部に加入した後、原告は同人らと三六協定を締結しているが、これは、労働基準法の法理を遵守したにすぎぬものであり、もとより何らの非難も受けるいわれはない。

よって、原告が参加人を脱退した三沢駅前営業所の乗務員が結成した新組合の三六協定締結の要請を拒否した事実はなく、右に関する事実が原告の不当労働行為を推認しうる理由にはなり得ない。

<5> 原告の吹上営業所及び白銀営業所の運転手代表から、それぞれ三六協定を締結したいとの旨の請願書の提示を受けた際、原告は、奥寺次長から、労働基準法上、吹上及び白銀営業所において三六協定を労働者代表として締結し得るのは、過半数を占めている参加人であることを説明し、右各運転手代表とも納得して請願書を持ち帰ったものであるから、原告が右請願書の受取りを合理的理由もなく拒否した事実などまったくない。

(3) 無協定期間中の配置転換・交番変更命令について

前記のとおり、原告には、三六協定の未締結問題に関し、不当労働行為は成立しないから、無協定期間中に原告が行った配置転換及び交番変更命令についても、前提が欠け、不当労働行為は成立しない。

右配置転換は、参加人との間で三六協定未締結の状態に至り、原告が、認可事業としての使命たる利用客の利便を勘案して、できる限りの車両を稼働させる必要上、その経営権と人事権の範囲内で、必要最小限度に行ったものであり、交番変更命令も、参加人従業員に対して法律上残業命令を指示し得ないがために止むなくとらざるを得なかったものである。

3  本件命令の「第1 認定した事実」に対する認否は、次のとおりである。

(一)(1) 1の(1)の事実は認める。ただし、原告の乗務員は、昭和六〇年一二月一日現在で四七四名である。

(2) 1の(2)の事実は認める。ただし、参加人の組合員は、昭和六〇年一二月一日現在で一五一名である。

(3) 1の(3)の事実は認める。

(二)(1) 2の(1)の事実は認める。

(2) 2の(2)の事実は認める。ただし、参加人がストライキを行う旨通告したのは昭和五八年五月二日である。

(3) 2の(3)の事実は認める。原告が参加人にロックアウトを行うと通告したのは同月二七日である。

(4) 2の(4)の事実は認める。ただし、参加人が被告に対しあっせんを申請したのは同年七月一八日である。

(5) 2の(5)ないし(7)の事実は認める。

(三)(1) 3の(1)及び(2)の事実は認める。

(2) 3の(3)の事実は否認する。

(3) 3の(4)の事実は認める。

(4) 3の(5)の事実は否認する。

(5) 3の(6)の事実のうち、原告が昭和五九年三月二四日、参加人に対し、参加人組合員を観光ハイヤー業務に就かせない旨の通告を行い、別表2のとおり、本社営業所所属の参加人組合員五名に対し、配置転換ないし乗務変更を行ったことは認める。ただし、昭和五九年四月一日に配置転換したのは、谷地敏雄、沼田芳美の二名であり、今泉十四三は同年一月一日、下館元次郎及び島脇純一は同年四月上旬に、各処置している。下館は勤務時間中に怠業行為をしたこと、島脇は運転免許の停止と長期間の病気欠勤をしたことを理由として、通告したのである。

(6) 3の(7)の事実は認める。

(四)(1) 4の(1)ないし(3)の事実は認める。

(2) 4の(4)の事実のうち、三役交渉における参加人の主張内容及び三役交渉の終了時間は否認し、その余の事実は認める。

(五)(1) 5の(1)の事実は認める。

原告は、タクシー支部と昭和五九年七月一七日に、同年七月二一日から昭和六〇年七月二〇日までの、期間一年間の三六協定と同内容の時間外労働に関する協定を締結していたところ、昭和五九年一〇月二一日午前二時頃、原告は、三八五労働組合中央執行委員長安ケ平農夫男、タクシー支部支部長高橋浩、書記長長根勝男を招き、参加人と三六協定ができなかった事情を説明して協議した。その結果、原告とタクシー支部とで、従前の協定を昭和五九年一〇月二一日から昭和六〇年一〇月二〇日までの期間一年の協定に改めることに合意が成立し、その協定に基づき、タクシー支部組合員が多数を占める営業所では、営業所毎にタクシー支部との三六協定を実施するとの協定届を作成して、所轄労働基準監督署に届け出ることにしたのである。

(2) 5の(2)の事実は認める。

(3) 5の(3)の事実のうち、被告からあっせん申請書の写しが送られてきたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4) 5の(4)及び(5)の事実は認める。

(5) 5の(6)の事実のうち、新組合結成の事実は不知、原告が三六協定締結を拒否したことは否認し、その余の事実は認める。

(6) 5の(7)の事実のうち、昭和五九年一一月一九日現在の参加人組合員が白銀及び吹上営業所に所属する七〇名のみとなったことは否認し、その余の事実は認める。

同日現在の参加人組合員は、本社営業所三名、吹上営業所四三名及び白銀営業所三〇名の七六名であった。

(7) 5の(8)の事実は認める。

(8) 5の(9)の事実のうち、原告が団体交渉を拒否したこと及び請願書の受領を拒否したことは否認し、その余の事実は認める。

(9) 5の(10)の事実は認める。

二  請求原因に対する被告及び参加人の認否及び主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の冒頭部分は争う。

(一) 同2の(一)の事実はすべて不知ないし争う。

(二) 同2の(二)の冒頭部分は争う。

(1) 同2の(二)の(1)の<1>の事実は認める。

同<2>の事実は不知。

同<3>の事実のうち、昭和五九年一〇月一八日の経過は認めるが、その余の事実は不知。

同<4>の事実のうち、同月二〇日午前一〇時頃及び午後五時三〇分頃の経過は認めるが、その余の事実は不知。

同<5>の事実のうち、同日午後七時三〇分頃、三役交渉が行われ、参加人が一ケ月以上の期間の三六協定は締結できないと主張したことは認めるが、その余の事実は不知。

同<6>の事実は不知。

同<7>の事実は争う。

(2) 同2の(二)の(2)の<1>の事実のうち、昭和五九年一一月一九日、参加人が原告に対し、期間六ケ月の三六協定を締結するための団体交渉を求めたこと、同年一二月四日に被告が勧告を出し、同月一三日に参加人と原告との間に三六協定が締結されたことは認めるが、その余の事実は不知。

同<2>の事実のうち、原告が、昭和五九年一〇月二一日、「運転者の配置転換について」と題する文書を掲示したこと、また、同月二四日、「三六協定について」と題する文書を掲示したこと、参加人が同月二二日から二四日までにわたって全員集会を開催したことは認めるが、その余の事実は不知ないし争う。

同<3>の事実は否認する。ただし、参加人は、昭和五九年一〇月二五日、被告に対し、原告との三六協定締結をあっせん事項とするあっせんを申請したので、被告会長は、同年一一月一日、あっせん員を指名し、翌二日、被告事務局職員菊地盛を現地に出張させ、実情調査を行わせた。右菊地は、まず、原告本社を訪問して、伊藤社長と面会し、右あっせん申請書写しを交付して、それに対する意見を求めたところ、伊藤社長は、今となっては参加人から昭和六〇年三月三一日まででよいと譲歩してきても、原告としては三六協定の締結を要請する意思はない旨及びあっせんにも応じない旨を明言した。その後、同月六日、右菊地は、当事者双方にあっせん申請書写しを添付したあっせん開始を通知する文書を手交し、原告側の亀本満保専務らに対し、期日を定めてあっせんを開催することについて打診したところ、右亀本は、伊藤社長の意向もあり、あっせんに応じるわけにはいかないと述べたので、あっせん員は、具体的あっせん手続きを進められなかったものである。

同<4>の事実のうち、三沢駅前営業所の参加人組合員が、原告に対し、三六協定の締結を申し入れたことは認めるが、その余の事実は不知。

同<5>の事実のうち、吹上営業所及び白銀営業所の各運転手代表が、原告に対し、三六協定を締結したいとの旨の請願書を提示したことは認めるが、その余の事実は不知。

(3) 同2の(二)の(3)の事実は争う。

3  本件命令の理由は別紙命令書の理由欄記載のとおりであり、被告が認定した事実及び判断に誤りはない。

三  参加人の主張

1  (観光ハイヤーの配車問題について)

(一) 原告は、観光ハイヤーの乗務員には担当者とスペアがあり、その平均化が図られるのは担当者についてのみで、スペアは平均化の対象にならない旨主張するが、担当者とスペアとでは、担当者が一つの車両について整備等の面で責任を持つという点に違いがあるが、その他の面では大きな差異はなく、勤務交番も同一で、中型車の乗務員である以上、スペアといえども原則的には中型車に乗務するのである。そして、中型車の乗務員の場合、観光ハイヤーの配車がなされた場合の方がそうでない場合よりも稼働額が増加するから、基本給と共に歩合給を大きな柱としている原告の賃金体系のもとにおいては、観光ハイヤーの配車がなされるか否かが、稼働額すなわち自己の収入にかかわる大問題なのであり、観光ハイヤーの配車につき、担当者とスペアを区別する理由はない。

仮に担当者とスペアとを区別して考えるべきだとしても、同じ担当者同志、スペア同志は、公平に扱われるべきは当然である。ところが、スペア同志で比較しても原告作成の観光ハイヤー運行回数集計表(甲第二五号証)によれば、昭和五八年八月から一〇月までの一人当たりの配車回数の平均は、参加人組合員が三・六六回であるのに対し、タクシー支部組合員は八・六二回で、二倍以上も多い。また、原告の主張する指名例及び成績不良者を除いた平均を見ても、参加人組合員が四・〇回であるのに対し、タクシー支部組合員は八・三七回であり、このような差のついた合理的理由はみつからない。

(二) 原告は、昭和五八年度は八月から一〇月までしか稼働できず、そのうちでも例年どおり稼働できたのは一〇月のみであり、かつ、平均化が図られるのは五月から一〇月までの観光シーズンを通してのことであるので、本件においては配車問題について不当労働行為の判断はなし得ない旨主張するが、例年どおりに稼働できなかったことは参加人組合員に対して配車をしなくてもよいという理由にはならない。全体の配車回数が少なければ少ないなりに公平に配車しなければならないのであって、ただでさえ配車回数が少ないときにタクシー支部組合員を優先して配車すれば、参加人組合員にとっては一層不利益となる。したがって、八月、九月を比較の対象から除く理由はない。

また、例年どおり稼働できた一〇月の参加人とタクシー支部の各組合員一人当たりの平均配車回数は、本件命令のとおり、三・二一回対五・七一回である。個々の乗務員間で見ると、その平均化は一月だけでは難しいとも言えようが、ほぼ同じ人数の二つの集団間において、一月の間にこれほどの差が生ずるのは不自然かつ不合理である。

(三) 原告は、特に配車回数の少なかった参加人組合員については、成績不良等を理由として比較の対象から除外すべきだと主張するが、原告が成績不良者であると指摘する参加人組合員の下舘元次郎、今泉十四三及び沼田芳美には、勤務態度不良の事実はない。そもそもこれらの乗務員も、単にキャリアだけではなく、指示・命令を誠実に実行でき、接客態度、判断力を備えて成績が良く、中型車の乗務員として相応しい者として選任されているのであり、こうした優秀な乗務員らが急に不良な乗務員になるというのは不自然極まりないことであり、また、勤務態度に問題があるのであれば、相応の処分をするなり、中型車の乗務員からはずすなりの措置をとるはずであるが、原告は、右乗務員らに対し何らの処分もしていない。

したがって、これらの乗務員を特別視して、平均配車回数の算定から除外すべき理由はない。

(四) また、原告は、本件命令の別表1の乗務員数に誤りがあるから、これによって一人当たりの平均配車回数も変動すると指摘するが、その違いは昭和五八年八月及び九月について一名ずつだけであり、しかもそれにしたがって計算すると、むしろ本件命令の数値よりも、参加人組合員とタクシー支部組合員の平均配車回数の差が大きくなる。

したがって、本件命令の別表1の数字の誤りは、本件命令の結論を左右するものではない。

2  (三六協定の未締結及び無協定期間中の配置転換及び交番変更問題について)

(一) 三六協定が未締結に至った経緯について

(1) 原告は、原告が三六協定の締結を求め続けたにもかかわらず、参加人がこれを拒否し、無協定状態を出現せしめた旨主張するが、原告と参加人とで意見が対立していたのは三六協定の期間の点のみであり、参加人は、三六協定の締結自体を拒否していたのではない。すなわち、前述の原告の賃金体系のもとにおいては、原告のタクシー乗務員にとって、時間外労働をすることは、割増賃金の支給を受けるにとどまらず、稼働額を上げ、歩合給を獲得し、ひいては夏期及び年末一時金の査定にかかわる必要不可欠のものなのであるから、組合員の経済的権利の擁護を主目的として存在する参加人が、無協定状態になることを望むはずがない。

(2) 原告は、参加人が昭和五八年一〇月一八日に協定締結の要請を受けながら、同月二〇日午後四時四〇分まで回答をしなかった点をもって、不誠実である旨主張するが、参加人としては、この点に他意はなかった。すなわち、三六協定の締結は、協定書に期間を書き入れ、双方印鑑を押すという、事務的には極めて簡単なことであり、それまでにも期限切れ当日に協定を締結したことが何度もあった。したがって、期間の点さえ合意できれば、簡単に締結できるわけであるところ、原告と参加人との間では、それまで短期間の協定を締結したことも何度もあった。そこで、本件においても、参加人側の交渉担当者である大西書記長は、期間の点で話し合いが難航することになることなど夢想もせず、期限切れ当日の出番の際で良いだろうと考えていたにすぎない。

(3) 参加人が三六協定の期間を一ケ月と主張したのは、原告が協定内容を必ずしも守らず、協定に定めた以上に時間外労働をさせており、また、原告が参加人を差別扱いしている、といった問題点があり、これらの点が是正されるまでのチェック期間を置きたいという趣旨によるものであった。したがって、一ケ月といった期間にそれほどの意味があったわけではなく、ましてや、どうしても一ケ月でなければ無協定になっても止むを得ない、といった強いものではなかったのである。

(4)<1> 原告は、昭和五九年八月二〇日の原告と参加人との間の三六協定締結交渉の経緯について、三役交渉の際、原告側が待つように要請したのに、参加人側が全員退席したため、三役交渉が終了してしまった、また、その後の電話で奥寺次長が大西書記長に対し譲歩を求めたのに対し、大西がこれを拒否したと主張するが、参加人側は、三役交渉の後、原告側が「社長と相談するからその場で待っていてくれ」といったが、その場は火の気もなく寒かったので、参加人の組合事務所で待っている旨伝えて退席し、右事務所で待機していたのである。交渉が打ち切りになったとすれば、この日勤務日であった大西らは、稼働額を上げるため当然勤務に入っていたはずである。また、その後、大西の方から、奥寺に対し、午後九時頃と午後九時三〇分頃電話したが、二度とも「社長が不在なので相談できないでいる。待ってくれ。」との返事であり、午後一〇時頃更に大西から奥寺に電話をかけたところ、「まだ、相談できないでいる。」とのことであった。このことからみても、参加人側が原告側の相談の結果を待っていたことが明白であり、奥寺次長が、三役交渉の後、大西に対し譲歩を要請したとするのは、順序が逆で、原告としては、まず相談の結果を伝えるのが先のはずである。

<2> また、原告は、この日午後一一時過ぎ、奥寺次長が大西書記長に対し電話し、一ケ月では事業計画が成り立たないので参加人の方で再検討するよう要請した旨主張するが、時間切れまで残り一時間もない時点でかかる要請をすること自体が非常識かつ不合理である。実際には、奥寺は、大西に対し、「明日から八時間勤務に入ることになった。」と一方的に通告したのであった。

そもそも、伊藤社長は、参加人と期間の点で意見が食い違い、交渉を続けていたことを知っており、当然交渉の結果について関心を持っていたはずであって、「八時半ころには家にいるから、何か変わったことがあったら家の方に連絡しろ。」と奥寺らに言っていたのであるから、二時間も伊藤社長と連絡がとれなかったというのも、いかにも不自然、不合理である。仮に、伊藤社長が、このように長時間連絡のとれない状況にいたのが真実であるとすれば、これは実に不誠実な態度と言わなければならず、むしろ、原告は、参加人との三六協定の締結を放棄し、参加人への最終回答を後らせる一方で、翌日からの無協定状態に備えて準備を開始していたのではないかと推測されるのである。その後の原告のタクシー支部らとの協議、配置転換、交番変更等の手際の良さはそのことを裏付けるものである。

以上の経緯からすれば、無協定状態を作り出したのが原告の方であることは明白である。

(二) 無協定状態後の原告の対応について

(1) 参加人にとって、三六協定が時間切れで無協定状態に入ってしまったことは、全く予期しないことであり、その後もあくまでも協定の締結を望み、努力してきた。このことは、参加人が、昭和五八年一〇月二五日には被告に対しあっせんを申請し、原告にこれを拒否されるや、同年一一月五日には被告に対し救済申立て、同月一九日には原告に対し団体交渉の申し入れ、同月二七日には被告に対し実行確保の申立てと、三六協定を締結するため、ありとあらゆる手段を用いたこと、さらに配置転換によって参加人組合員が集められた吹上及び白銀各営業所において、従業員代表という形で参加人組合員の署名を集め、三六協定締結を求める請願書を原告に提出しようとしたこと等から明らかである。

(2) これに対し、原告は三六協定締結を拒否し、参加人組合員には時間外労働をさせないという姿勢に出て、社内の各営業所に、その末尾に「会社は今後、参加人に対して三六協定の締結を要請しないことを言明する。」との記載のある昭和五八年一〇月二四日付け社報を掲載し、今後参加人とは三六協定を締結しないことを明言した。

(3) また、原告は、参加人の申請に基づいて被告が行ったあっせんについて、「あっせんは、正式には開始されなかった。」旨主張するが、被告が、あっせんの申請を受け調査をしたところ、原告がもはや参加人と三六協定を締結する意思はなく、あっせんにも応じない旨明言したため、正式の開始に至らなかったのである。交渉のテーブルにすらつこうとしなかったのは原告の方である。

(4) 原告は、三沢駅前営業所の乗務員が参加人を脱退して新組合を結成し、三六協定の締結を求めてきたことについて、新組合の結成が本当かどうか確認できなかったため、これに応じなかったものである旨主張するが、真実は、原告はその際「タクシー支部に加入するのでなければ締結しない。新組合などとんでもない。」として、右乗務員らの申し出を退けているのである。

(5) 無協定状態が続く間、参加人から組合員の脱退が毎日のように相次ぎ、昭和五八年一〇月二〇日当時三三四名いた組合員は、同年一一月一九日現在では七〇名と極端に落ち込んでしまった。そうした組織崩壊の危機に立たされていた状況の中、参加人は、同日、原告に対し、従来の期間一ケ月の主張を取り下げて、期間六ケ月で三六協定を締結するよう団体交渉の申し入れをした。ところが、原告は、参加人の同月二六日開催の申し入れに対し、迅速な対応をせず、同月二四日になって、同月三〇日に開催すると回答をしてきた。また、同月三〇日開催した交渉の席でも、原告は「地労委にあげているんだから、今ここで話し合っても始まらない。」とまったく実質的な話し合いに応じなかった。

こうした原告の対応をみる限り、原告には参加人と真剣に三六協定を締結しようという考えはなかったことが明らかで、むしろ、参加人の追い詰められた状況を利用して、交渉を一日でも遅らせることによって、参加人の弱体化を企図していたとしか考えられない。

(三) 無協定期間中の配置転換・交番変更命令について

原告は、無協定期間中に行った配置転換・交番変更命令について、参加人の三六協定締結拒否にあい、止むなくとらざるを得なかった企業努力である旨主張するが、そもそも参加人が三六協定の締結を拒否したことはなく、また無協定状態に陥ってからも参加人が三六協定の締結に努力したにもかかわらず、これを原告が拒否したことは前述のとおりである。原告が本件配置転換及び交番変更を行って、タクシー支部組合員のみに時間外労働をさせ、もって、参加人の弱体、壊滅を図ったことは明らかである。

第三証拠(略)

理由

一1  請求原因1の事実、同2の(二)の(1)の<1>の事実、同<3>の事実のうち、昭和五九年一〇月一八日の経過の事実、同<4>の事実のうち、同月二〇日午前一〇時頃及び午後五時三〇分頃の経過の事実、同<5>の事実のうち、同日午後七時三〇分頃、三役交渉が行われ、参加人が一ケ月以上の期間の三六協定は締結できないと主張したこと、同2の(二)の(2)の<1>の事実のうち、昭和五九年一一月一九日、参加人が原告に対し、期間六ケ月の三六協定を締結するための団体交渉を求めたこと、同年一二月四日に被告が勧告を出し、同月一三日に参加人と原告との間に三六協定が締結されたこと、同<2>の事実のうち、原告が、昭和五九年一〇月二一日、「運転者の配置転換について」と題する文書を掲示したこと、また、同月二四日、「三六協定について」と題する文書を掲示したこと、参加人が同月二二日から二四日にわたって全員集会を開催したこと、同<3>の事実のうち、参加人が、昭和五九年一〇月二五日、被告に対し、原告との三六協定締結をあっせん事項とするあっせんを申請したこと、同<4>の事実のうち、三沢駅前営業所の参加人組合員が、原告に対し、三六協定の締結を申し入れたこと、同<5>の事実のうち、吹上営業所及び白銀営業所の各運転手代表が、原告に対し、三六協定を締結したいとの旨の請願書を提示したことは当事者間に争いがない。

2  また、本件命令の「第1 認定した事実」のうち、次の事実は当事者間に争いがない。

(一)  1の(1)ないし(3)の事実

(二)(1)  2の(1)の事実

(2)  2の(2)の事実(ただし、参加人がストライキを行う旨通告した日にちを除く。)

(3)  2の(3)の事実(ただし、原告が参加人にロックアウトを行うと通告した日にちを除く。)

(4)  2の(4)の事実(ただし、参加人が被告に対しあっせんを申請した日にちを除く。)

(5)  2の(5)ないし(7)の事実

(三)(1)  3の(1)及び(2)の事実

(2)  3の(4)の事実

(3)  3の(6)の事実のうち、原告が昭和五九年三月二四日、参加人に対し、参加人組合員を観光ハイヤー業務に就かせない旨の通告を行い、別表2のとおり、本社営業所所属の参加人組合員五名に対し、配置転換ないし乗務変更を行ったこと(ただし、今泉十四三、下舘元次郎及び島脇純一に対する処置の日にちを除く。)

(4)  3の(7)の事実

(四)(1)  4の(1)ないし(3)の事実

(2)  4の(4)の事実(ただし、三役交渉における参加人の主張内容及び三役交渉の終了時間を除く。)

(五)(1)  5の(1)及び(2)の事実

(2)  5の(3)の事実のうち、被告からあっせん申請書の写しが送られてきたこと

(3)  5の(4)及び(5)の事実

(4)  5の(6)の事実(ただし、新組合結成の事実及び原告が三六協定締結を拒否したことを除く。)

(5)  5の(7)の事実(ただし、昭和五九年一一月一九日現在の参加人組合員が白銀及び吹上営業所に所属する七〇名のみとなったことを除く。)

(6)  5の(8)の事実

(7)  5の(9)の事実(ただし、原告が団体交渉を拒否したこと及び請願書の受領を拒否したことを除く。)

(8)  5の(10)の事実

二  右争いのない事実に、(証拠略)を総合すれば、以下の事実が認められる。

1(当事者等)

(一)  原告は、三八五貨物自動車運送株式会社を中核とする三八五企業グループの一企業で、一般乗用旅客自動車運送業(ハイヤー、タクシー)等を目的とし、肩書地に本社を置き、青森県八戸市、三沢市及び三戸郡福地村に合計一〇ヶ所の営業所と、営業用車両約二三五台を有し、従業員数は約五七〇名(うち乗務員は約四八〇名)である。

(二)  参加人は、肩書地に事務所を置く原告の従業員で組織する労働組合であるが、かつては三八五企業グループの労働組合である三八五労働組合の下部組織であった(旧)タクシー支部が昭和五〇年二月に分離独立して結成されたものである。

(三)  原告には参加人の他に、乗務員で組織するタクシー支部と整備員と事務員で組織する三八五労働組合交通支部の二つの労働組合がある。

2(昭和五八年春闘における争議の経過等)

原告と参加人との間では、昭和五八年春闘において、参加人が賃上げ等の六項目の要求をしたのに対し、原告が賃金体系、退職金制度及び年間一時金支給基準の改定等の逆提案をするなどして話し合いが難航し、結局、参加人は、昭和五八年五月七日から三一日までの間に、五波延べ一四日間にわたるストライキを行い、これに対して原告は、右ストライキ終了と同時にロックアウトで対抗し、被告のあっせんによって同年七月二〇日に右ロックアウトが解除されるまで、労使双方が鋭く対立した。

そして、右ロックアウト中の同年七月一五日、参加人から脱退した三十数名がタクシー支部を結成し、原告の乗務員の中に二つの組合が存立するに至った。

3(観光ハイヤーの配車について)

(一)  原告は、従来から主に中型車を用いて貸切りの観光ハイヤーを営業しているが、これは、主に全国の観光あっせん業者からの注文に応じて原告の管理職が中型車の乗務員に配車するという方法によっている。そこで、中型車の乗務員は、右観光ハイヤー業務も受け持つことから、経験が豊富で、接客態度や判断力も備えていて中型車の乗務員として相応しい者が選任される。そして、中型車の乗務員も普段は小型車の乗務員と同様に、一般のタクシーとして流しの営業を行い、この点では料金がやや高めであること等から小型車よりも不利であるが、一度観光ハイヤーとして配車を命じられると、まとめて高額の稼働額を獲得することができ、基本給と共に歩合給を大きな柱としている原告の賃金体系のもとにおいては、結局、それが高収入につながることになり、一般的には中型車の乗務員は、少なくとも観光ハイヤーの配車のある観光シーズンにおいては小型車の乗務員より高めの収入を得ている。そこで、中型車の乗務員にとって、観光ハイヤーの配車がなされるか否かが重大な問題となる。

(二)  原告の本社営業所の観光ハイヤー用の中型車両は二〇台で、右車両には小型車等と同様に、それぞれの車両の整備等の責任者である担当者と、担当者が明け番のときに当該車両を担当するスペアとの二〇名ずつの乗務員がおり、担当者は優先的に決まった中型車に乗務して勤務するが、ほぼ半数ずつ明け番になるため、中型車のスペアも、原則的には中型車に乗務することができるのであって、その勤務交番も担当者と同一である。

(三)  観光ハイヤーの受注があるのは、例年五月から一〇月頃までであるが、昭和五八年度は前記争議があった関係上、中型車が観光ハイヤーとして稼働したのは、八月から一〇月までであり、そのうちでも例年並みに稼働したのは一〇月のみであったが、右三ケ月間の本社営業所の中型車乗務員における参加人組合員とタクシー支部組合員別の観光ハイヤーの配車状況は、別紙観光ハイヤー配車状況比較表のとおりである。

4(三六協定の未締結及び無協定期間中の配置転換及び交番変更について)

(一)  原告は、その業務の必要上、時間外労働及び深夜労働を前提とした勤務交番で乗務員を勤務させ、また、乗務員の方も原告における前記賃金体系及びタクシー・ハイヤー業の特殊性から、時間外労働及び深夜営業を当然の前提として稼働しているため、原告は、参加人結成以来昭和五一年及び昭和五八年の春闘争議中を除いては、全労働者の過半数で組織する参加人と三六協定を欠かすことなく締結してきており、昭和五八年七月二一日に、同日から昭和五九年七月二〇日までの期間の全社一括の三六協定を、昭和五九年七月一七日に、同月二一日から同年一〇月二〇日までの期間の全社一括の三六協定を、それぞれ締結し、八戸労働基準監督署長に届け出ていた。また、原告は、参加人との右三六協定とは別に、タクシー支部とも昭和五八年七月二一日から一年の期間と、昭和五九年七月二一日から一年の期間で、三六協定と同内容の時間外労働に関する協定を締結していた。

(二)  原告の奥寺次長は、昭和五九年一〇月一八日午後零時二〇分頃、参加人の大西書記長に対し、同月二一日以降の新たな三六協定を期間一年で締結するよう要請したところ、参加人は、これにつき同日の執行委員会で検討し、原告が協定に定めた以上に時間外労働等をさせている、また、観光ハイヤーの配車について参加人組合員とタクシー支部組合員とを差別をしているとして、これらを是正させるための手段として、一ケ月の期間で三六協定を締結することを求めることに決定した。しかし、参加人は、右決定を原告に対し、別段すぐに返答できないような事情はなかったが、三六協定の締結は協定書に期間を書き入れて双方印鑑を押すという、事務的には極めて簡単なことで、それまでにも期限切れ当日に協定を締結したことが何度もあり、短期間の協定を締結したことも何度もあったことなどから、同日も翌一九日も何ら返答しなかった。

(三)  そこで、奥寺次長は、同月二〇日午前一〇時頃、参加人の中村委員長に対し、電話で、三六協定締結に関し、参加人の検討結果を尋ねたところ、中村は、それについては大西書記長に指示してあり、同日午後五時までには同人が原告の事務所へ行くことになっている旨回答したにとどまり、先の執行委員会の決定を伝えなかった。ところが、同日午後四時二〇分になっても、大西から連絡が入らないため、奥寺は、大西の自宅へ電話をしたところ、大西は自宅を出た後であり、更に、同日午後四時四〇分頃、奥寺は、大西の勤務先である原告の鮫営業所に電話したところ、ようやく大西がこれに出て、期間一ヶ月で締結したい旨の先の決定を伝えた。奥寺は、原告が要請した一年とはあまりに期間に隔たりがあるので、大西に本社へ来るよう要請し、同日午後五時三〇分頃から、原告の本社事務所において、原告から田村総務部長、生田営業部長及び奥寺次長が、参加人から大西書記長が出席して、三六協定締結につき交渉(窓口交渉)が行われた。この席上、大西は、執行委員会の決定である一ケ月を主張し、原告の一年と対立して、進展がなかった。

なお、右窓口交渉中の同日午後六時頃、原告の伊藤社長が立ち寄り、来年三月末までの約六ケ月の期間での締結を促す発言をした。

(四)  そして、その後同日午後七時三〇分頃から、原告の本社会議室において、原告から亀本専務、田村総務部長及び奥寺次長が、参加人から中村委員長、木村及び村上副執行委員長並びに大西書記長が出席して、交渉(三役交渉)が行われたが、参加人側は、前記の理由で一ケ月以上の期間の三六協定は締結できないと主張し、原告側の主張する期間六ケ月ないし一年と対立し、午後八時三〇分頃まで話し合ったが平行線をたどったままで、原告側は別室で相談するとして退席し、参加人側も組合事務所で待機するとして全員退室してしまったため、三役交渉は終了した。

(五)  その後、大西書記長が、同日午後九時頃から一〇時頃までの間に二回程、奥寺次長に対し、電話で、原告側の結論が出たか問い合わせたところ、奥寺は、その都度伊藤社長とまだ相談ができていないので、もう少し待つようにと返答するとともに、参加人側に譲歩を求めたが、大西はこれを拒否した。そして、同日午後一一時頃、奥寺は、大西に対し、電話で、社長と相談した結果、明日から八時間勤務に入ることに決まった旨一方的に伝え、結局、そのまま新たな三六協定は締結されずに同日午後一二時が経過した。

(六)  原告は、昭和五九年一〇月二一日午前零時を過ぎて、三六協定の未締結状態に入ったことから、その対策を協議し、休車をできるだけ少なくするために、従来三六協定を全社一括で締結していたのを改め、配置転換によってタクシー支部組合員を一定の営業所に集め、それが過半数に達した営業所ごとにタクシー支部との間で三六協定を締結することにし、同日午前二時頃にはタクシー支部及びその上部団体である三八五労働組合の役員を呼んでその合意を取りつけ、同日午前四時頃までには人事異動案も作成して、原告の各営業所に三六協定が無協定状態に至った経緯と配置転換を行う旨を記載した同日付け「運転者の配置転換について」と題する文書を掲示した。

これにより、原告の一〇ケ所の営業所のうち、本社営業所、新井田営業所及び三沢営業所の三営業所では、タクシー支部組合員が過半数を占めることとなり、原告は同月二二日、右三営業所において、タクシー支部組合員を営業所代表として、営業所ごとに期間一年の三六協定を締結し、これらの三営業所に所属する乗務員を四八時間三〇分の時間外労働を含む従来どおりの勤務交番で就労させた。それ以外の七営業所に属する乗務員は、原告の交番変更命令により、時間外労働を含まない勤務交番で就労することになった。

(七)  これに対し、参加人は、同月二一日、緊急執行委員会を開いて今後の対策を協議し、翌二二日から二四日までの三日間、全員集会を開催して、三六協定未締結に至った経過報告と今後の対策につき意思統一を図った。

原告は、同月二四日、同日付け「三六協定について」と題する文書(社報)を原告の各営業所に掲示し、三六協定が無協定に至った経緯について詳述するとともに、その末尾に「会社は今後、参加人に対して三六協定の締結を要請しないことを言明する。」と記載して、今後参加人と三六協定を締結することを拒否する旨明言した。

(八)  参加人は、昭和五九年一〇月二五日、被告に対し、原告を相手方当事者として三六協定締結等をあっせん事項とするあっせんを申請し、これに応じて被告が調査を始めたが、原告は感情的なわだかまりからか、これに応じなかったため、あっせんは正式の開始にも至らなかった。

(九)  以上のようなことから、時間外労働ができなくなった参加人組合員は、直ちに稼働額の減少、すなわち収入の減少という不利益を受けることとなって、同組合員の間に不安感が高まり、参加人を脱退してタクシー支部に加入する組合員が続出し、昭和五九年一〇月二〇日当時三三四名いた参加人組合員は、同年一一月一九日頃には一時約七〇名にまで減少するとともに、連日のように多数の乗務員に対して行われる原告の配置転換とによって、前記三営業所以外にもタクシー支部組合員が乗務員の多数を占める営業所が生ずるに至り、原告は、こうした営業所が生ずるごとに漸次タクシー支部組合員を当該営業所の代表として三六協定を締結していき、一〇営業所のうち三六協定が締結されていないのは、白銀及び吹上営業所のみとなった。

(一〇)  昭和五八年一〇月二九日、原告の三沢駅前営業所の参加人組合員が、参加人を脱退して新労働組合を結成し、原告に対し、三六協定を締結してほしい旨申し入れたが、原告らは、これに難色を示して応じず、これらの者がタクシー支部に加入して初めて、原告は右営業所において三六協定を締結した。

(一一)  参加人は、昭和五八年一一月一九日、原告に対し、従来の期間一ケ月の主張を取り下げて、期間六ケ月で三六協定を締結するよう団体交渉の申し入れをした。ところが、原告は、参加人の同月二六日開催の申し入れに対し、迅速な対応をせず、同月二四日になって、同月三〇日に開催すると回答をしてきた。また、同月三〇日開催した交渉の席でも、原告は「地労委にあげているんだから、今ここで話し合っても始まらない。」と主張して実質的な話し合いに応じなかった。

(一二)  参加人組合員の根城信一は、同年一一月一七日、原告の吹上営業所の全運転手を代表して、また、参加人組合員の中村光雄は、同月二四日、原告の白銀営業所の全運転手を代表して、それぞれ原告に対し、営業所ごとに三六協定を締結するよう請願書を提示したが、これによっても、原告は三六協定の締結に応じなかった。

(一三)  その後、同年一二月四日に被告から三六協定締結等に関する勧告が出されたため、原告から同月一一日に三役交渉の申し入れをし、これにしたがって同月一三日に三役交渉が行われ、その席上、原告と参加人との間において、漸く三六協定が締結されるに至った。

以上の認定に反する(証拠略)は、反対趣旨の前掲各証拠及び前記認定事実に照らし、にわかに措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  そこで、以上認定した事実に基づいて、原告の行為が不当労働行為に該当するか否かを検討する。

1(観光ハイヤーの配車問題について)

前認定のとおり、原告が昭和五八年八月から一〇月までの間に本社営業所の中型車乗務員に対して行った観光ハイヤーの配車について、参加人とタクシー支部との各組合員別一人当たり平均配車回数を比較すると、タクシー支部組合員の方が参加人組合員よりおよそ二倍程多くなっており、右観光ハイヤーの配車の有無が、中型車乗務員の収入に直接大きく影響するというのであるから、このような大きな格差が同一の企業内の二つの労働組合間に存在するということは、これを合理的とするような特段の事情が存在しないならば、それだけで不当な不利益扱いによる差別であると推認せざるを得ない。

(一)  ところで、これにつき、原告は、観光ハイヤーの配車回数の平均化が図られるのは担当者についてのみで、スペアは平均化の対象にならない旨主張するが、担当者とスペアとは、担当者が特定の車両の整備等の責任者で、優先的にその車両に乗務すること以外には、大きな差異はなく、勤務交番も同じであって、スペアといえども中型車の乗務員である以上、観光ハイヤーの配車の有無が自己の稼働額、すなわち収入に大きく影響する大問題であることは担当者と同一である。したがって、前記のような多少の差異から担当者の方がスペアよりも優先される部分がまったくないとはいえないとしても、スペアは、観光ハイヤーの配車回数の平均化の対象にまったく含まれないとするのは合理性がない。現に、別紙観光ハイヤー配車状況比較表によれば、原告が昭和五八年八月から一〇月までの間に行った観光ハイヤーの配車においても、同一組織内の組合員同志では、担当者もスペアもその配車回数に大差はない。よって、右原告の主張は到底採用できない。

また、スペア同志を二つの組合間で比較してみた場合、別紙観光ハイヤー配車状況比較表のとおり、参加人とタクシー支部の各組合員間では、タクシー支部の方が二倍以上も多くなっているが、これについても合理的な理由はまったく認められない。

(二)  原告は、昭和五八年度は八月から一〇月までしか稼働できず、そのうちでも例年どおり稼働できたのは一〇月のみであり、かつ、平均化が図られるのは五月から一〇月までの観光シーズンを通してのことであるので、本件においては配車問題について不当労働行為の判断はなし得ない旨主張するが、例年どおりに稼働できなかったことは平均化を図らなくてよいという理由にはならない。特別な理由のない限り、全体の配車回数が少なければ少ないなりに公平に配車しなければならないのが原則である。また、シーズン全体を通して公平であればよいというものでもなく、可能な限り、短期間のうちでも平均化が図られるべきである。本件において、原告の右主張を正当化する理由は見出せない。

(三)  原告は、特に配車回数の少なかった参加人組合員については、成績不良等の理由が存在するから比較の対象から除外すべきだと主張し、右成績不良等の事実の存在についてはこれに沿う(証拠略)も存在するが、反対趣旨の(証拠略)に照らし、にわかに措信できず、他にこれを客観的に裏付けるに足りる証拠も存在しないから、右の原告の主張も採用できない。

(四)  また、原告は、乗客から個別乗務員を指名した要望がある場合は会社の裁量による配車ができないから、配車回数の平均値の算定からは除外すべきであると主張し、右指名があったことについては、これに沿う(証拠略)が存在するが、これらのみでは、真実右指名がなされたと認めるに十分でなく、他にこれを認めるに足りる証拠もない。また、仮に右指名が真実あったとしても、合計で六件にすぎないから、参加人とタクシー支部組合員との配車回数の差異につき、前記認定を大きく左右するものではない。

(五)  更に、原告は、参加人組合員とタクシー支部組合員との間のトラブル発生防止対策上、なるべく同一の組合員をまとめて配車する必要があったこと及び各乗務員間に能力差があったことが、観光ハイヤーの配車回数を平均化できなかった要因の一つである旨主張するが、そもそもそのようなトラブル防止策をとらなければならないような状況が実際に存在したと認めるには証拠が十分でないうえ、仮にそのような必要性があったとしても、それが、前記認定のような両組合員間における配車回数の差異の存在を正当化するものとは到底認められない。また、各組合員間に能力差があったという点については、タクシー支部組合員に能力の高い者が多く、参加人組合員に能力の低い者が多いというのであれば一つの要因になると考えられるが、本件全証拠によっても、それを認めるに足りる証拠はない。

よって、右原告の主張も採用できない。

(六)  なお、前記認定事実によれば、本件命令の別表1の乗務員数には、昭和五八年八月及び九月について各一名ずつ誤りがあり、したがって、一人当たりの平均配車回数も変動せざるを得ないが、別紙観光ハイヤー配車状況比較表によれば、むしろ本件命令の別表1よりも参加人とタクシー支部との平均配車回数の差が大きくなるから、本件命令の別表1の数字の誤りは、本件命令の結論を左右するものではない。

よって、原告の主張はすべて理由がなく、被告が本件命令において、原告が行った本社営業所の観光ハイヤーの配車回数において、参加人組合員とタクシー支部組合員との間に前記認定のような格差が生じたことには合理的理由が認められず、右の原告の行為はタクシー支部組合員を優遇することにより、参加人の動揺を図ったものと認められるとして、これを労働組合法七条三号の不当労働行為に該当すると判断したことには、事実誤認及び法令適用の誤りの違法はない。

2(三六協定の未締結及び無協定期間中の配置転換及び交番変更問題について)

(一)  前記認定のとおり、原告と参加人は、ハイヤー・タクシー業の特殊性及び原告の賃金体系の組立て方等から、互いに時間外労働及び深夜労働を不可欠のものとして、これまで限られた例外を除いては三六協定を欠かさず締結してきたところ、昭和五九年一〇月二〇日の経過をもって、無協定状態に入ってしまったが、その原因について考察してみると、前記認定によれば、参加人は、原告から同月一八日午後零時二〇分頃、同月二一日から期間一年で新しい三六協定の締結を要請され、同日中に執行委員会で検討して期間一ケ月で締結を要請する旨決定したのに、三六協定の期限切れ当日の同月二〇日午後四時四〇分頃、それも原告から問い合わせがあるまで、その返答をせず、また、原告との窓口交渉及び三役交渉の席上でも、一ケ月の期間に固執し続けたのであるが、その背後には、三六協定の締結交渉を原告との間の他の懸案事項の交渉手段の一つに利用しようといった意図も見受けられ、参加人の交渉態度にも問題があったといわざるを得ない。しかし、原告は、それまではたとえ短期間ではあっても、参加人に要請されるままの期間で三六協定を締結してきたことが多かったのに、今回に限り、一年間ないしは六ケ月に強くこだわったこと、その理由は一ケ月では事業計画が立たないためとするが、期間一ケ月で協定を結んでおいたとしても、参加人がその一ケ月後に三六協定の締結自体を拒否するとは考えられない状況にあったから、右原告の理由も合理性に乏しい。そのうえ、同月二〇日、参加人と直接交渉に当たっていた奥寺らは、最終決定権を持っていた伊藤社長と同日午後八時三〇分頃から約二時間も連絡がとれず、その間参加人に対し、三役交渉後の原告の返答を待って欲しい旨伝えたが、伊藤社長は、原告と参加人との間で、期間の点で意見が食い違い、交渉が難航していたことを知っていたのであるから、約二時間も社員と連絡がとれなかったというのはいかにも不自然、不合理であり、仮に、それが真実であるとすれば、極めて不誠実な態度であるといわざるを得ない。その後、原告は、翌二一日無協定状態に入った後、直ちにタクシー支部らの役員と協議をし、営業所ごとに三六協定を結ぶことにしてその合意を得た他、配置転換、交番変更及び社報の掲示等を短時間のうちに手際よく済ませていること等からすると、むしろ、原告は、八月二〇日のうちに密かに三六協定の締結放棄を決意し、参加人への最終回答を意図的に後らせる一方で、翌日からの無協定状態に備えて準備を開始していたものとすら推測されるのである。

(二)  そして、無協定状態に入った後の原告の措置については、前記認定事実によれば、原告は、直ちにタクシー支部組合員を一定の営業所に集め、乗務員が過半数に達した営業所毎にタクシー支部を代表者として三六協定を結ぶことにして、そのための配置転換及び交番変更を行い、被告の勧告に従って同年一二月一三日に参加人との間で三六協定を締結するまで、タクシー支部組合員のみに時間外労働をさせるように図ったものと認めざるを得ないが、このことは、同月二四日付けの原告の社報において、参加人とは今後三六協定を締結しない旨宣言したこと、前記の被告のあっせんに応じなかったこと、三沢駅前営業所の参加人組合員が、参加人を脱退して新労働組合を結成し、原告に対し、三六協定の締結を要請したにもかかわらず、原告はこれに応じず、これらの者がタクシー支部に加入すると、原告は三沢駅前営業所においても三六協定を締結したこと、参加人が昭和五八年一一月一九日、原告に対し、従来の期間一ケ月の主張を取り下げて、期間六ケ月で三六協定を締結するよう団体交渉の申し入れをしたのに、原告は、その開催を引き伸ばしたうえ、交渉の席上でも実質的な話し合いに応じなかったこと、これらの原告の行為により、参加人からタクシー支部へ移動する組合員が続出し、参加人は一時は壊滅寸前の状態にまで追い込まれたことなどからも十分推認することができる。

なお、この点について原告は、右配置転換は、三六協定未締結の状態に至り、原告が、収入減を食い止めるとともに、認可事業としての使命たる利用客の利用を勘案して、できる限りの車両を稼働させる必要上、必要最小限度に行ったものであり、交番変更命令も、止むなくとらざるを得なかったものである旨主張するが、三六協定未締結に至った前提が異なるうえ、収入減及び利用客の不便を食い止めるためには、参加人とも三六協定を締結することが最も有効な手段であることは明白であり、右原告の主張も採用できない。

よって、少なくとも、被告が本件命令において、原告が、参加人との三六協定未締結状態に入った昭和五八年一〇月二一日以降同年一二月一三日までの間、参加人との三六協定の締結を拒否し、参加人組合員に時間外労働をさせなかったのは、参加人組合員に対し、不利益な取扱をすることにより、参加人の弱体化ないし壊滅を図ったものであると認めて、右の行為を労働組合法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であると認定したこと並びに右期間中に原告が行った配置転換・交番変更は、タクシー支部組合員のみに時間外労働をさせ、参加人組合員には時間外労働をさせないという差別状態を作り出し、これを維持するための手段として行われたもので、これにより、参加人の壊滅を図ったものであると認めて、右の行為を労働組合法七条三号に該当する不当労働行為であると認定したことには、事実誤認及び法令適用の誤りの違法はない。

四  よって、以上によれば、原告の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口忍 裁判官 山田敏彦 裁判官 夏目明德)

命令書主文

1 被申立人三八五交通株式会社は、申立人三八五交通労働組合に対し、七、二〇〇、〇〇〇円を支払わなければならない。

2 被申立人は、この命令書の写しの交付の日から七日以内に下記の文書を申立人に手交するとともに、同一内容の文書を縦一メートル、横二メートルの白色木板に読みやすく墨書して、被申立人本社の正面玄関及び各営業所の見やすい場所に一〇日間掲示しなければならない。

昭和 年 月 日

三八五交通労働組合

執行委員長 中村文男殿

三八五交通株式会社

代表取締役 伊藤彰亮

当社が貴組合の組合員を観光ハイヤーの配車において差別したこと及び昭和五九年一〇月二一日から一二月一三日までの間、乗務員に対し、配置転換を行ったことは、労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であると青森県地方労働委員会に認定されました。

よって、当社は今後このような不当労働行為を繰り返さないことを誓います。

(注 年月日は、文書を掲示する日を記載すること。)

3 申立人のその余の申立ては、これを棄却する。

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